片葉の葦 橘逸勢と妙冲

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片葉の葦 橘逸勢と妙冲


わたしたち「わがんせ」は、音楽を始めるまでは、郷土の伝説を調べて、その地を訪れていました。

その経験を生かして、今年から、伝説を題材とした曲を作って歌っています。

片葉の葦 作詞 足立幸代 補作詞 わがんせ 作曲 わがんせ  

 カフェ処すず木(磐田市) 「すず木deポン!」にて録画。





橘逸勢(たちばなのはやなり)は平安時代の貴族です。遣唐使として空海らとともに唐に渡りました。書道の名手であり「嵯峨天皇」「空海」「橘逸勢」は「三筆(さんぴつ)」と称されます。

現代風に言えば逸勢は書道の「神」ですね。

その逸勢が貴族の権力争いに巻き込まれます(承和の変)。捕えられた逸勢は病弱の身に拷問を受け、伊豆に流される事となり、途中の、本坂峠(三ヶ日)を越えたところで没します。

逸勢の後を追っていた娘は嘆き悲しみ、髪を落として尼になり、自ら「妙冲(みょうちゅう)」と法名をつけ庵を結び、逸勢の菩提を弔ったのです。 

「帰葬の詔」(罪を許すから京に戻りなさい。)があったのは、九年後の事です。娘は逸勢の遺骨と共に京の都に戻ります。その際に遺骨の替わりに逸勢が唐から持ち帰り愛護していた「鏡」を埋めました。

ここまでは史実です。以下は伝説です。

父の菩提を弔い続ける娘に好意を持った村の若者がいました。若者は娘の身辺を、あれこれと世話をしていました。数年が過ぎた、ある日、娘から京へ戻らなければならないと告げられます。一緒に連れていって欲しいと、哀願しますが叶わず、悲しみにくれて、浜名湖に身を投げてしまいます。

この時から、岸辺に生える「葦」は、西(京の都の方角)に向いて葉が生える「片葉の葦」になりました。若者の思いが葦に乗り移ったのだと村人は思ったそうです。

伝説なのですが、貴族の娘が一人で、何年も生活できる能力は無いでしょうから、やはり親身になって世話をしてくれた人がいたと考えたほうが自然でしょうね。


参考文献 ふるさと百話 17巻 発行 静岡新聞社 

著者 漆畑 弥一 夏目隆文 稲森道三郎  



 
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