晩夏(ひとりの季節)~マムゼル(袋井市)にて。

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暑かった夏。やっと涼しさが訪れてきたようですね。

この季節になると聴きたくなる曲です。

アルバム「14番目の月」の最後に収録されています。「荒井由実」の最後の曲ですね。

以後は「松任谷由実」になります。


晩夏 (ひとりの夏) 作詞・作曲 荒井由実  1976年



2018年9月15日(土) マムゼル(袋井市)の 「フリーダムフォーク集会」での録音です。

最初のア・カペラは「シュガー・ベイブ」のライブ録音に入っていた曲です。レコード・CD未収録なので曲名・作詞・作曲は不明です。

アルバム「14番目の月」のコーラスにはシュガーベイブのメンバーの「山下達郎」「大貫妙子」が参加しています。

そして、このアルバムが発売された1976年はシュガーベイブ解散の年でもあるのです。




当日、配られた「瓦版 ・ふりいだむ」VОl85には、主催のマシスさんが「色のつく名曲♪」として、「晩夏の歌詞も忘れられない。(藍色は群青に薄暮は紫に)にはゾクゾクしますね。」とありました。

セット・リストは事前には公表していませんので、偶然ですが驚きました。

とても綺麗な日本語の歌詞ですよね。

わたしは、「夕焼けを吸って燃え立つ葉鶏頭」という表現が好きです。

どうしたら、このような表現が、できるのだろう?と思います。

若い頃はユーミンの軽快な、きらびやかな曲を好んでいましたが、年を重ねたせいか、地味ですが「晩夏」のような、しっとりとした曲が好みとなりました。






 

謎の荒鎺土(アラハバキ)神社

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はっきりしない、お天気が続いていましたが、ひさびさに晴れましたね。



浜松市浜北区堀谷(ほりや)にある「荒鎺土(アラハバキ)神社」を訪ねました。

集落の入り口すぐの左側に鎮座しています。木の鳥居があるだけで、社殿があるわけではありません。

石段を登っていくと「荒鎺土神」と彫ってある石碑があります。

明治の元号が彫ってありましたが、古来より信仰が続いているのです。

神社の本体が「岩盤(いわくら」なのですから。


光の加減で、はっきりと写せませんでしたが、石碑の後ろが「岩」だと判ります。この岩が「岩盤(いわくら)」です。

「岩盤(いわくら」とは、古代の人々が信仰した、神が降りる場所、依代(よりしろ)なのです。

そして「アラハバキ神」は縄文時代から信仰されている日本古来の神だと言う説もあるのです。

地元には、この岩が「アイヌの酋長の墓」だとの言い伝えが残っています。

「アイヌって北海道に住んでいるんじゃないの?」と思いますが、大陸から鉄器など高度な技術を持った渡来人が近畿地方に朝廷をつくり全国を制圧していき(騎馬民族征服説)先住民を「沖縄」と「北海道」に追いやったという説もあります。

征夷大将軍として東国を制圧した「坂上田村麻呂」も渡来人です。

田村麻呂は天竜川を渡るのに苦労したようで、遠州に数々の伝説を残しています。

(ひょっとして、この酋長は田村麻呂の軍団と戦ったのでは?鉄の武器には、かなわないから、力尽きて討たれたのかも・・・・。)と想像は際限無く広がっていきますけどね。



関連ブログ  

https://waganse.hamazo.tv/e3057891.html← 掛川市粟ヶ岳の頂上にある岩盤です。






 

橘逸勢供養塔 用福寺(袋井市上山梨)

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昨日、袋井市マムゼルでのフリーダムフォーク集会へ行く前に、用福寺(袋井市上山梨)へ立ち寄りました。

この寺にある橘逸勢(たちばなのはやなり)の供養塔にお参りするためです。

マムゼルで、橘逸勢の娘、妙冲に、まつわる伝説をもとにした、わがんせのオリジナル曲「片葉の葦」を歌うからです。

橘逸勢は謀反の罪をきせられ伊豆に流罪される途中、遠江板築の駅で亡くなったとされています。そして、その後を追ってきた娘が菩提を弔うのです。 

現在の三ヶ日の「本坂」ですね。その場所には「橘逸勢神社」が、あります。

袋井市山梨に、なぜ、橘逸勢の供養塔があるのでしょうか?

「都をば 今は遥かに遠江 月の隈なき 月見郷(やまなしのさと」 

橘逸勢の辞世の句です。

月見の里とは山梨の事らしいのです。

どちらで亡くなったのか・・・遠い昔の事で分かりませんね。

奇しくも本坂と袋井での、ライブで「片葉の葦」を歌う機会がありました。

なにかの縁なのでしょうか?とても不思議な気持ちです。



関連ブログです。

https://waganse.hamazo.tv/e8147960.html ←片葉の葦 

https://waganse.hamazo.tv/e4011722.html ←橘逸勢神社


 

兄妹道祖神 壬生の里の伝説

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旅仕舞(たびじまい)  兄妹道祖神伝説より

作詞 足立幸代 補作詞 わがんせ  作曲 わがんせ

Cafe処すず木(磐田市)「すず木deポン!」にて録音



昔、壬生(みぶ。現在の浜松市・天竜区)の里、船明(ふなぎら)に、とても仲の良い兄妹が住んでいました。

年頃になるとお互いの結婚相手を求めて巡礼の旅に出ました。ところがどちらも心寄せる異性に巡り会いません。行けども行けども思い出すのは互いの事なのです。約束の3年の巡礼が過ぎ二人は失意のうちに帰郷しました。

再会した二人は、ひしと抱き合い「この世に、あなたの代わりはいません。仲良く暮らしましょう。」と夫婦のように暮らし、やがて結ばれました。しかし二人は罪の意識にさいなまれ、周囲の目にも耐えられず天竜川の淵に身を投げてしまったのです。

今更ながら哀れに思った村人が「あの世」で二人が幸せになれるようにと「道祖神」を祀りこれを「兄妹地蔵」と呼んだのです。

もともとは道標を兼ねて秋葉山道(火の神として全国で信仰されている秋葉山に続く道です。)の曳坂峠にあったのですが盗難にあい現在は浜松市天竜区船明(ふなぎら)の「長養寺」の観音堂の隅に安置されています。

この「道祖神」(兄妹地蔵)は「縁結び」の神として信仰されています。願いが叶うと「赤と白の小石」を供える風習もあったそうです。

わたしたちが、数年前に「「長養寺」を訪ねたときのブログです。→https://admin.hamazo.tv/admin/entry/edit/entry_id/3033405











参考文献 

「風狂問わず語りー静岡県の道祖神ー」 著者 小山 益次

「秋葉街道」   静岡県教育委員会  
     





 

赤蛇伝説 坂上 田村麻呂

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「私たちが訪ね歩いた遠州地方の伝説を曲にしてみたい。」 

そんな思いからの、最初の曲です。

永遠(とこしえ)赤蛇伝説より 作詞・作曲 わがんせ 

本坂DOCK(三ケ日) 「霜柱ライブ」からの録音です。


幕末にかけての絵師・菊池 容斎が描いた田村麻呂です。


遠州地方に多くの伝説が残っている人物と言えば「坂上 田村麻呂」です。

今から1200年前(奈良時代から平安時代)に「征夷大将軍」として、東の蝦夷(えぞ)と呼ばれた人々を朝廷に従わせる為に軍団を率いて出征したのです。
平和に暮らしていた蝦夷の人々にとっては迷惑ですよね。

その途中に天竜川で足止めをしていました。
当時の治水されていない天竜川は流れも定かではなく大雨が降れば、たちまち溢れだしたのです。

そうこう、しているうちに「玉袖(たまそで)」という美しい娘が「お世話させてください。」と田村麻呂を訪れます。
やがて、ねんごろ仲となり、玉袖は身ごもります。
「産屋は決して覗かないでください。」と言い残し産屋に入っていきます。
田村麻呂は禁を破り覗いてしまいます。
そこには、とぐろを巻いた大きな赤い蛇と男の赤ん坊がいました。

玉袖は天竜川の主、赤蛇の化身だったのです。
正体を知られた玉袖は、赤ん坊と「玉」を残して深い淵へと帰っていきました。

人と人で無いもの(動物や妖怪など)が結ばれる民話・伝説を民族学では「異類婚(いるいこん)」と分類します。

有名な民話は「鶴の恩返し」ですね。陰陽師の安倍清明の母親も狐だったという伝説が残っています。

永遠(とこしえ)の歌詞に「巡り巡る 六道(ろくどう)の果て 再び巡りあう。」とあります。

六道とは「天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道」のことです。
この六道を輪廻する言われています。

人が動物に生まれかわったり、その逆もありえるわけです。
「異類婚」の民話・伝説が多く残されているのは、そういった意味があるのかもしれませんね。