禁じられた歌「森の水車」 

ほわいと。。

2018年10月07日 13:35

台風25号の影響で小雨が降る中、郷土が生んだ作詞家「清水みのる」の歌碑を訪ねました。

「清水みのる」は、浜名郡伊佐見村(現在の浜松市伊左地町)出身です。

歌碑は伊佐地町の「伊佐見協働センター」の建物の横にあって駐車場に車を停めると、すぐに目に入ります。


歌碑には「森の水車」の歌詞が刻まれています。

森の水車  作詞 清水みのる 作曲 米山正夫  歌 高峰秀子  



親しみやすい、明るい曲調です。「コトコトコットン~♪」と口ずさみたくなりますよね。

ところが、当時、レコードが発売禁止となったのです。

清水みのるが故郷の水車を思い描いて作詞したのだと思いますが、発禁の理由は、歌詞の「ファミレド シドレミファ」が敵国の言葉だというものです。発売された昭和16年は、すでに日本が太平洋戦争に突入していました。

しかし、これは言いがかりです。「ドレミファ~」はイタリア語です。

イタリアはドイツ、日本と三国同盟を結んでいたので敵国ではありません。

つまりは、戦意高揚、戦争を鼓舞する歌しか許さないというのが本音でしょうね。

協力するレコード会社には軍需産業並みにレコードの原料を廻した、という国策があったのです。言論統制、思想統制です。

憲法で言論の自由が、当たり前のこととして生きてきた、わたしたちには想像を絶する世相だったのですね。


「清水みのる」も召集されて、蒙古(今のモンゴル)の戦線に送られます。明日は死ぬかもしれないと思うほどの激戦を体験します。

そのような状況下でも、野営のテントの中で遺書のつもりで必死に歌詞を書き続けます。

幸い、清水みのるは無事に帰国することができました。 

そして、戦後に「森の水車」は、「ラジオ歌謡」として放送され(NHK専属の歌手、荒井恵子の歌唱)みんなに愛される曲となったのです。(レコードは並木路子が吹き込みました。)


☆「森の水車」の歌碑は「伊佐見小学校の構内」と「伊佐見緑地の公園内」にもあります。近くには水車小屋があります。☆


参考文献 「昭和歌謡 流行歌から見えてくる昭和の世相」 

     敬文社 著者 長田 暁二

戦後の、「清水みのる」の作品、「星の流れに」「思い出の燈台」について書いたブログです。


        https://waganse.hamazo.tv/e3257673.htm