厭離穢土、欣求浄土(おんりえど・ごんぐじょうど)

ほわいと。。

2013年04月24日 22:33



ほわいと。。&つよぽんの寺社巡りシリーズです。お隣の愛知県まで足を伸ばして、岡崎市鴨田町にある「大樹寺」に行ってきました。この寺は松平家と徳川家の菩提寺です。


「桶狭間の合戦」で織田信長によって、今川義元が倒されたので家康は身の危険を感じて大樹寺に逃れました。
この時の家康は「松平元康」と名乗っていました。今川方だったのです。


家康は「もはや これまで・・」と祖先の墓前で自害しようとします。しかし、住職の登誉上人に「この戦国乱世の世を住みよい浄土にするのが、お前の役目だ。」と諭され自害を止めました。 


住職の「諭し」の元になった経文が「厭離穢土、欣求浄土」(おんりえど・ごんぐじょうど)なのです。苦悩の多い穢れたこの世を厭(いと)い離れたいと願い心から欣(よろこ) んで平和な極楽浄土を冀(こいねが)う、という意味です。 (頂いた御朱印にも書いてありました。)

家康はこの経文を終生、座右の銘としたのです。


家康のあとを追ってきた敵の一団は寺僧の祖洞和尚に撃退されます。祖洞和尚は70人力と言われた怪力で、寺のカンヌキを振り回したそうです。

この時のカンヌキは、家康が「貫木神」と命名しました。立身出世の神として大樹寺に安置されています。 

家康は遺言で「位牌は三河大樹寺に祀るべきこと」と残したので、大樹寺には歴代将軍の位牌が安置されています。(最後の将軍、徳川慶喜だけは神道で祀られたので位牌はありません。)

幼くして将軍になり、わずか8歳で没した7代家継の位牌や、NHKの大河ドラマ「篤姫」に登場した13代家定の位牌もありました。 家定は病弱だったので35歳で没しています。

写真撮影は禁止されているので、写真は無いのですが、位牌は代々の将軍の身長に合せて作られています。

一番、身長が高い将軍で160cmでした。150cmくらいの身長の将軍が多かったです。家康も、それくらいでした。当時の日本人の体格は、そのくらいだったのでしょうね 。


歴代将軍の肖像画です。